市民音楽祭へ応募していたバンドの数が、100?150あったのだ。つまり二日間かけてオーディションやらないと、1日では終わらないから。その時代、すでにカラオケも人気で、カラオケ・コンテストにも約150人の方が応募していた。こちらも二日間かけての予選。若松市民会館であった。優勝した女性の歌は、「フォーユー」だった。審査員で呼ばれたのを思い出す。「フォーユー」を歌う方が多かったのを記憶する。市民音楽祭では、まだまだハードロックのバンドがいたし、レベルは高かった。この時代は、自主製作レコードに人気があり、レベルの高いグループが多かった。浜田省吾の人気が高まって、そしてルースターズもデビューした。「路地裏の少年」は、当時の名もなきミュージシャンが好んだ名曲。北九州は、チューリップじゃないんだよな。やはりルースターズ。北九州は、どこかリバプールににていたはずだ! これがルースターズのコピーとして、おい街で使っていました。
ヤマハのポプコン、クロスFM、デジカメ、デジタル化された音源、僕らは何が一番大切だったのだろうか? マイケル?エルビス?ビートルズ?