ジャズを労働者の多い街だから好まれた、と安直に語っていいかは解らない。が、そう言われると、違うとも言えないくらいに、旧五市にはキャバレーが多く、進駐軍も多く、ダンスを楽しみたい米兵の要望もあり、ビッグバンド・スタイルのジャズは盛んだった。北九州市には最大で約500人近いジャズマンが、いたと言われる。また外国船が門司港、若松港にも到着していたからして、上海からジャズの流れは、ジャズ・マンを通じて行き来していたと思われる。昭和時代のジャズ喫茶アベベは、ジャズのメッカ的で、小倉の存在感を日本中のジャズ・ファンに響かせた。海外の一流ジャズ・マンの熱演は語り草になったほどだ。4代目オーナー、田部俊彦さんは小倉北区紺屋町のビッグ・バンドで長年に渡り活動を継続し、北九州のジャズの系譜を今に伝えている名サックス・プレイヤーだ。このビッグ・バンドで彼により「小倉のジャズ」が確立されたことは特筆されるべき偉業と言える。北九州市にジャズ喫茶が多く存在したことは、ジャズに対する熱い思いを抱く音楽ファンがいかに多かったかを表している。