「おい街音楽教室」と言うカルチャー・スクールを1980年だったか、ヤマハと共催で始めた。一回の募集で約100名の読者が参加してくださった。凄い反響にヤマハの方が驚いていた。エレキギター、ドラム、キーボード、エレキベース、ボーカルの教室が、あっという間に一杯になった。
音楽教室の次は、「おい街・テニススクール」。こちらも一回の募集で約20人弱の方が生徒さんになって下さり、毎週日曜日、小倉南区のテニス・コートで教室が開催されていた。全員が女性の方。音楽教室も全員が女性。 こうして、おい街の活動は街やイベントへと広がっていった。
当時、北九州市にはイベントが少なく、おい街がイベントをやって街づくりに貢献すべきだ、とあちこちから言われ、文化を創ることがタウン誌の使命とまでいわれるようになってしまった。(1)
(追伸)イベントをやっていたから、読者やスポンサーが付いてきてくれたのだと、今はハッキリとわかります。イベントは相当な数をやっています。思いだせないモノもありますから、思い出すとその度に記載しましょう。